2008年2月11日月曜日

20080210

今日、近所のおばあちゃんが亡くなった。
発見したのは自分だった。

家族からのおつかいで、荷物を届けに行った。
ベルを鳴らしても、返事はなかった。
玄関が開いていたので、中に入って、おばあちゃんの名前を呼んだ。
普段は聞こえるはずの、僕の名前を誰かと間違うそのおばあちゃんの声はなかった。

テレビの音だけが、あいかわらずの大音量で流れ続けている。
テレビの音の方へ、近づいて行くとおばあちゃんが蝋人形になってしまったかのような無表情で仰向けに倒れていた。

声をかけても、声は届かない。
手をとってみても、手は静かに冷たかった。

まもなく救急隊の人が来て、救命処置を施した。
それでも、おばあちゃんは戻ってこなかった。

病院に運ばれてまもなく、病院からの死亡通知が僕の携帯に来た。


小さい頃からよく遊びに行っていただけに、正直驚いた。
でも悲しみは意外と小さかったかもしれない。


倒れているおばあちゃんを目の当たりにして、生きている証拠とかそういうものを必死に探そうとしたけど、何も出来なかった自分は、結局、良く生きたねと言ってあげたかっただけかもしれない。


最近は仕事を理由に会いに行けてなかったけど、「最後くらいは会いに来なさい」とおばあちゃんに呼ばれたんじゃないかなと思った。


あの灰皿は、おばあちゃんの家がなくなってしまう時にもらう予定だったから、おばあちゃんが先に亡くなって形見になってしまったけど、これから大事に使って行くよ。
誰のためにどう生きるのかという事を大切にこれから進んで行くよ。


15年前に亡くなったおじいさんと一緒に、仲良く空から見ていて下さい。

長い間おつかれさまでした。
そして本当にいろいろと応援してくれて本当にありがとう。