最近、いろんなところで話に出てくる就活のバカヤローという本を読んでみました。
率直な感想は、「そうだよね、それで?」という感じデス。
過激なことを言ってるんだけど、結局著者の主張はなくて、知っている人は知っているし、知らない人はこの情報だけを信じて、「今の就活イマイチだよね」と首をそろえてしまうのかなと。著者の主観をぶちまけたという印象が拭いきれないし、中には、統計的にあやしい定性的なデータで結論づけているところもあり、ミスリードにつながってしまうのではと少し感じた。
この手のキャッチで引いて中身があまりないという本はちょっと残念。(こういうタイトルでしか物事全般に興味喚起されないユーザーもちょっと残念【僕の主観】)企業、大学、学生が演じる茶番劇とサブキャッチが過激に主張しているが、言いたいことを言って結局、批判している新卒マーケットから小金を稼ぐのって・・・。とちょっと思ってしまう。
つっこみどころはたくさんあるんだけど気になったのは、3点。
(1)今の時点では、小規模、無名な会社に入って成長させることの方が面白いはずだ。
就活ランキングについての批評のくだりで出てくる一文。
こういい切ってしまうと、結局大手に行きたいと思いこんでいる学生と視点が同じになってしまう。これはあくまで著者の主観。働く場所、つまり大手に行くことのメリットもあるし、デメリットもある。逆に中小に行くのも同じ。小さい会社に入ってしまってつぶしがきかない例だってたくさんあるし、福利厚生が乏しい場合だってある。
要は向き不向き、雇用形態etcをちゃんと知った上でそれを選択の土俵にのせているかということなのではないか。またランキングなどは、編集者の主観が入っているので善し悪しは何とも言えないが、企業名すら十分に想起できない学生にとっては1つ指標になりうる、それくらいしか現時点では学生にとって自分の中の指標がないというのがリアリティだと思う。それをバカだと言い切ってしまうのはあまりに短絡的すぎる。
(2)所詮、入社案内や採用ホームページは企業の立場からつくられた「広告」のようなものだ。<中略>結果として学生はこれらの制作物の内容を「信じ込む」ことになる。
就職サイトetcの掲載原稿などに対しての、批評のくだり。
そう。就職サイトに載っているのは広告です。
でも大事なことを言い忘れている。
広告だからこそ、厳しい校閲が入った原稿が載っているのだ。財務状況が危なければ、広告掲載できないし、原稿内容も雇用機会均等法や、労働衛生法などの法規に基づいて、掲載の可否が判断されている。実際に世の中にある校閲されない求人広告には劣悪なものも多く存在する。なるべく安全な企業を学生に提供する。選択肢を絞るという機能にしか就職サイトの価値はないと思う。
もしこれが無かったら学生はこれを自分達の手で全て調べ上げなければならない。
5社しか企業名を想起できない学生がこれをやったらどうなるのだろうか、そもそもできるのだろうか?広告=疑う対象 というように主観を押し付ける(意図はないのかもしれないがそう感じられる)のは、そこにある大切な事実も見失わせてしまうのではないか?情報を発信する立場は、情報を受け取る立場にある人の状況も考慮すべきだと思う。
確かに、会社の現状と広告が完全に一致しない場合がある。この場合は真実を自分で確かめにいかない学生にも問題があると僕は思う。
(3)「新しい就活のやり方」「ムーブメント」を作ってみろ、そして踊らせることができるなら、学生や企業をもっと踊らせてみろ、と言いたい。
就職情報会社に対する批評のくだり。
それで、あなたはどうしたいの?そこが聞きたいのにな。
きっと企業だって、大学だって、就職情報会社だって、学生だってめちゃくちゃいろんな不安を感じて、それでも前に進まないと行けないから、現状の中で最適解を探し、より良い未来を探している。
これだけいろいろいいたいことだけ言って、最後に予定調和なのは無責任かなと。
まとめると、これも1つの視点ということ。出ている例も1つのケースだということ。
これだけを鵜呑みにせずに、実態がどうなっているのかということに興味を持って自分なりの議論をできる知識を持つことが大事でしょう。
興味があれば、1つの視点として読んでみて下さい。
「就活のバカヤロー」
2009年2月2日月曜日
就活のバカヤロー・・・うーん。
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