今日は一個コンテンツをリリースしました。
リリースはいつも直前まで調整をしていて、制作には迷惑をかけていて申し訳ないことですが、やっぱりモノがいい形でできていくというのはうれしい。
紙と違ってWEBは、いくらでも改善が効くし、結果を見てから打ち手を考えることもできる。ここが一番楽しいところでもあり、悩ましいところでもあるんだけど…。
本番環境にリリースしてから、制作にかかわったメンバーで飯を食べに行ってきました。終わった後の「おつかれ」の乾杯はとても格別です。
創り続けていると、創りたい人が集まってきて、いつのまにか創るのを楽しむ環境ができていくから不思議。そんな環境を与えてくれている会社にとても感謝、感謝です。
どんどん創り続けていこうと思います。
2008年11月8日土曜日
やっぱりうれしいこと
2008年11月6日木曜日
メディアはどこにいくんだろう
最近思うこと。
僕のやっている求人メディアはどこに向かっているんだろう。
現場の一兵卒が考えることではないのかもしれないが、最近本当にわからないぞと感じている。
でもよくよくなんでわからないんだろうと考えると、
・いろんなレイヤーでみんな言っていることが違う
・未来地図がない
っていう2点がおもに気持ち悪いんだと思う。
回すこと、現状のお金を維持することに固執しすぎていて、新しいアイデアとか取組みをする余白を事業全体で作れていない。上の意思決定も遅いし、すでに死後硬直しているんじゃないか…。やばい。
情報産業は利ざやがいいものの、ビジネスモデル的にはまねしやすいし、低価格競争にさらされがちになる。だからこそ新しい視点でのアプローチが必要になってくるんじゃないかと思う。そのためには、リクルートが若年層のキャリア形成、キャリア教育についてどういう意見を発信していくのかそこをしっかりと決めてメディアに魂を乗せていかないといけない。
やっぱりクライアントがいいなと思って、欲しいなと思うような商品を創らないともたないんだろうな。そういう空気感がないところ、クライアントの後追いになってしまっていることに本当に危機感を感じています。
たとえば何か課題を感じる人がいてそれを解決したい場合に、
・自社でイノベーションを起こすのか?
・自社以外の影響力の強い他社に行ってイノベーションを起こすのか?
・そもそも自分でやるのか?
みたいな選択肢があると思うんだけど(そもそも何もしないっていう選択肢もあるんだけどそれはおいておいて…)
社会が良くなる方が素敵とすれば場所はどこでもよくなってくるような気がしてる。会社に意味がなくなるというか。だからリクルート=イノベーターという等式ではないって気づくとどんどん人材が抜けていってしまいそうな気もするんだよね。
キャリアプランならぬキャリア不安。
2008年11月5日水曜日
イージーでなくシンプルに。
最近仕事で大切にしていること。
「イージでなくシンプルに」
これをやろうとするといろいろ見方が変わってくる。
とにかく簡単なことを難しくしてしまう人は結構多いってこと。
自分は難しいことを考え続けると脳みそがフリーズしちゃうので、なるべく簡単に簡単にしようとするみたい。比較的ジャッジが早いと言われるのだけど、それは簡単な事象に翻訳しているからだと思う。
よく就活生にも言うんだけど、答えのないこととか分からないことを考えすぎても結局状況が変わらない。だったらつべこべ言わずにまずは動いてみる。
だからPLAN,DO,SEE(PDS)じゃなくてDO,SEE,PLAN(DSP)。
最初は考えすぎない方がいい。
僕のやり方(時間を決めてやるとベター、できなかったら時間をおいてリトライ)
自分がどこに行きたいのかざっくり決める
↓
どれくらいの距離がありそうなのかざっくり見積もる
↓
その距離を走るための方法を思いつくだけ書き出す
↓
その中で一番好きな方法ではじめの一歩を踏み出してみる
↓
踏み出したらその一歩について考えてまた最初に戻って動く
とにかくほんのちょっとずつでもいいから動いて考えればいい。動いた方が得る情報が圧倒的に多いから、合理的な判断をする可能生が高まります(進めば進むほどシンプルになって行く)。人間の状況適応能力はかなり高いのでそれを信じた方がいいということでしょうね。
「頭使って、足動かさず」はリアリティ足らずになるのでイマイチ。
2008年11月3日月曜日
つながることば
ちょっと前に買った「広告」
博報堂が出している季刊誌。
9月号は「ことばの特集」ではっとすることがたくさん見つかって好き。
ちょっと行き詰まったときとかに読み直したりする。
だから、もう12月号が出ているんだけど、やっぱり9月号。
好きなところを抜粋。
したら長くなちゃった。
○岩崎俊一(P18-19)
「ことばは、発見する」
ことばはつくっちゃいけない、それはもうすでにこの世のどこかにあって、僕たちはそれを見つけ出してくる、それを発見するのがコピーライターの仕事であるということです。いいコピーは、非常に無理のない形をしていて、無理のない響きを持っていて、ただずまい自体が美しい。
○山本高史(P20-21)
「言葉ロック」
ロックというは破壊とか否定なんだけれども、ところがただ壊せばいいと持っているわけではない。その後に自分のフレームを建てるという実はすごく建設的な行為であると思っていて、だったらそれを、言葉でできないかなというふうなことを考えたりして。<中略>
つまり単におもしろがって、そこにあるものじゃなくて、それを世の中の改善のためと状況の改善のために使うということを前提で、もう一度言葉を整理しなきゃいけないと僕は思うんです。
○宗形英作(P22-23)
「耳から入る言葉」
→ 考えが自分としっくり来すぎてびっくり体験でした。この人と何かやってみたいなんて僭越ながら思ってしまったり。
・・・改めて「ひらがな」は、音のことばだなと思ったんです。やまとことばは文字を持たなかった。中国から感じが入ってきて、その感じをひらがなに治して行くことによって文字になったという経緯があります。その意味で、ひらがなは、話しことばの中心になるんじゃないかと思うんです。
今は情報が多すぎて、情報が情報のノイズになっている。何が大事な話かわからないし、何が一番必要なのか情報かも分からなくなって、全部が横並びになってしまっている。情報を整理していく機能みたいなものが弱くなってきているんじゃないかと考えたときに、ひらがなに置き換えられないことばは、もしかしてそんなに必要なことではないのかもしれないと思います。
大切なことは実は簡単なことなんじゃないか。大切なことが忘れられているから、今、世の中がすごくややこしくなっている。愛することとか、人を思いやることとか、大切なことは、昔から語りつがれているようなことばの中にあるんじゃないでしょうか。
ある種、語りだけで相手がイメージできたり、相手が納得できたりするようなコミュニケーションが、すごく大事なんじゃないかなと思いますね。それに、素晴らしいアイデアというのは、たくさんのことばを費やさなくても、シンプルに、語りかけることばだけで相手が理解できるものです。そういう意味で、音で伝わるコミュニケーションが、今ちょっと置き去りにされ、その分なにかが失われている感じがします。
<中略>
大きく分けると、ことばの役割は2つなんだろうと思います。それは「考えるためのことば」と「伝えるためのことば」。
今、その「伝えるためのことば」が饒舌になりすぎている。それはもしかしたら、聞く力を信じていないからかもしれませんね。聞く力を信じないと、饒舌になるか無口になるしかない。
ことばが伝える力を持っているのは、ことばにはもともと求心力と遠心力があるからです。求心力というのは、そのことばで特定のものを想像できるということ。遠心力というのは、そのことばからいろんなことが連想できるということ、だから伝える力というのは、話す力と同時に、聞く力があって成り立つものなのかもしれません。
ことばのすごさは、見えないものを伝える力のあるところです。気持ちとか理由とか思い出とか夢とか、見えないものを語り合っていく、そこに大切なものがあり、それが未来を紡ぐことばになっていくのではないでしょうか。
○福岡伸一(P27)
「うまくことばにできないのだが・・・」
という言葉を決して使わないようにする。言葉にできないことはたくさんある。それでも言葉と文体を探し、できるだけ高い解像度でそれを語ろうとすることが、言葉の力を信じるということだと思う。
※
話は変わって、最近思うこと。
メディアとしてのネットが「言葉足らず」になりすぎていると思う。
僕は仕事でアクションメディアに関わっているけれども、ネットも成熟してきていて価値変換システムとしての情報メディアがいわゆる街のコンビニの域をでていないんじゃないかと思う。
ネットの可能性は良く言われる議論で多分、無限なんだけど、僕らの体力、知力、能力には限界があるし、そもそも時間だって有限だ。
有限の中で幸せを最大化すること。
前提として新しい気付きを得られる感性を持っていること。ここを忘れがちだと思う。
流れに身を任せてみんなが不感症になったらセックスを楽しいっていう人がいなくなってしまう。
でもなんだかそんな風になってきているように思う。
多分検索の自由って、格差社会みたいなもんで、自由度がありそうで実はそんなに自由度がなさそうで、アクションに固執した結果、そういう意味で、ネットの可能性を狭めるなっていいたい。
AISAIとかじゃ人はなかなか動いてくれない。
僕は、I-AISASとかまで行かないと動いてくれないと思ってるしそれが「おもてなし」っていう概念。
情報は創発するから、文脈をもっと大切にしないといけないんだと思う。
最近ずっとそればっかり。
どんな広告もやっぱり希望を与えてなんぼ!
がんばらなきゃね。
アマゾンの返品システム
こないだアマゾンで本を買って初めて返品という体験をしました。
その時思ったこと。
ちなみに買った本は、行動経済学者のDAN ARIELYの「PREDICTABLY IRRATIONAL」。ずっと読みたくてずるずると読んでいなかった本。
というわけで買ってみたのですが、下記の図のように、本のサイドがぼろぼろになっていて、もしかしてこれは著者のトリック?とも思ったのですが、何ら意味は見つけられず。とりあえず返品ということにしました。
結局、返品してまた再送されてきた商品も下図のような感じだったので、この本はこういうものなのだろうということで納得しました。
でアマゾンの返品システムについて。
返品というととりあえず、電話だということで電話番号を探したのですが、ない…。どうやらWEBの返品センターというところから返品の申込をするよう。
さっそく、返品手続きを開始。
まずは、自分で買ったものかギフトで選んだものかを選んで、自分で買ったものの場合は自分の購買履歴から返品する品物を選び返品のパターンを選ぶ。
選んだら、品物の返金か交換かを選ぶ。
確認画面。
でリクエストのボタンを押すと次の画面で、返品するためのバーコードが書かれた返品伝票と返品する宛先が書かれたシートが出てくる。これを印刷して箱に入れて、宅配便業者を呼んで指定の日時に取りに来てもらえれば手続き完了。
ここまでの作業だいたい20分くらい。
簡単なんだけど、なんとなく不安があるというかそんな感じ。プリントアウトとかめんどくさいなーと思ってしまった。
同じプロセスをやるにしてもサービスセンターに電話して聞く方が不安が都度解消されるから実は納得度高かったりするんじゃないのかな?受け取り方が「ちゃんと対応してくれている」というポジティブか「ほったらかされている」というネガティブかの差かなと思うんだけど。
WEBの対応だと、プロセスはシンプルなんだけど、ちょっと困ったときとかわからないことがあったときに聞けないジレンマがあって、探そうとすると探し方がわからなかったりして実はすごい手間がかかる。書いてあるんだけど、約款の中を読まないといけないとか。WEBで「そこで全部書いてありますから」というおもてなしはやっぱりちょっと冷たいかなと思います。せめてメインじゃないけど受け皿としてコールセンターはあった方がいい。
まあサービス提供側のコストとかを考えると厳しそうだけど、こういうちょっとずつの積み重ねがリピーターとかファンを作るんだと思います。
2008年11月1日土曜日
ブログ復活!そして来年5月に・・・
ブログをまた始めることにしました。
ちまちま毎日更新がんばろうかなと。
ところで、
このたび、結婚することになりました。
しかも来年5月に子供つき(新規)です。入籍は年明けにします。
結婚式等々はツレの体調もあるので産後にゆっくりやろうかなと思っています。
一部の仕事でかかわる方には報告していたのですが、ツレの方も安定期に近付いてきたので改めて報告します。まさか自分が結婚!?とか子持ち!?とかまだまだ驚きは隠せませんがおもろくやっていこうかなと思っています。
ちなみにツレから「赤ちゃんができたの…。」というメールをもらった瞬間、テンパって会社の一つ手前の駅で降りてしまったり笑。ひとつ前の駅から会社に行く途中でいろんなことを考えて、自分の腹を決めたけど、メールが来た日が9/11だったから、やっぱりこれは年上女(B29笑)のテロだと思ったり…。
とはいえ自分的にはとてもとてもハッピーです。
人生とはホントに運と縁とタイミングだなと。
ツレと一緒にやっていくと決めた瞬間から自分の人生がもっと回りだした感じがします。決断するというのは本当に決め断つことなんだと感じました。決めたからには幸せな家庭を築くべく仕事、家庭と邁進します。
昔、mixiに書いた自分の夢はいったんあきらめることにはなったけど不思議とまったく後悔はしていません。「想い」があればまたどこかで形を変えてかなうはず。今回は縁がなかったと思って今の仕事を一所懸命がんばります。
ふつつかものですがこれからも応援よろしくお願いいたします。
結婚式かなり先ですが、ぜひ遊びに来てください。
ツレの手前、あまり遅くはなれませんが飲みも懲りずに誘ってください。
でわでわー。