2008年6月9日月曜日

20080608


休日。今日は家にいて、コーヒーをいれて、本を読んだり。
ここんとこずっとコーヒーには凝っている。


お店で生豆を選んで、その場でローストしてもらい、ひいてもらう。豆の個性とか、ローストの仕方、ひき方の細かさで味が違ったりするから面白い。好きな豆を見つけて自分にあった味にチューニングしていくそんなプロセスが楽しい。


自分の好きな豆は、パプアニューギニアのパラダイスプレミアムという豆。苦味があまりなく、甘味にがあって味が濃い。2ヵ月くらいいろんな豆を試して、最近3か月はずっとこの豆。飲むときはストレート。


ドリップもずっとコーヒーメーカーだったけど、豆を選んで買うようになってからは、自分でドリップするようになった。驚くほど味が変わるし、ドリップするという動作が自分をひきしめるというか、ひといきつかせるというかそんな感じも楽しい。


今日読んだ本は、「時間は実在するか」@入不二基義。
最近、時間ってなんだろうとか、時間って増えたり減ったりするのかなとか、そもそも絶対量とかってあるのかなって疑問に思ってて、アマゾンで見たときにタイトルに惹かれて買った本。

読んでみたら、時間の哲学的分析でかなり読みにくかった。
大分難しかった&結局のところよくわからなかったといのが素直な感想。

概略は、マクタガードの時間は実在しないという論証の説明が75%、残りは著者の発展的思考。

時間については2つの異なるとらえ方がある。(A系列、B系列)

B系列だけでは時間をとらえるのに不十分である。

A系列が時間にとって本質的である。

A系列は矛盾している。

時間は実在しない。
 = 実在するものが相容れない2つの状態が同時に成り立つことはありえない。

という流れで進む。

判定基準の実在のリアリティは、

1、本物性:実在は、単なる見かけたけではなくほんとうに実在するもの。
2、独立性:実在は心の動きに依存せず、独立にそれ自体で存在するもの。
3、全体性:実在は一つの全体として存在するもの。
4、無矛盾性:実在は、矛盾を含まない。

一方時間の2つのとらえ方は、

(1)A系列

時間の各点において、それは「過去である」、「現在である」、「未来である」という位置づけを持つということ。

(ex)太郎が生まれることが「今日」のことは、時間がたてば「昨日」のことになる。

(2)B系列

時間の固定的な順序関係 → 年号、日付

(ex)太郎が生まれたのが1980年ということは、時間がたっても変わらない。


という3つの材料を元に、時間そのものの変化を追うことで、時間の非実在性が述べられていく。
後半は、マクタガードの論証の矛盾点から論理を展開させて、未来はまだ存在しない無であるという視点から、無関係としての時間という概念を引き出し、結果「時間は実在の意味をすり抜けてしまう」という著者の思考につながっていく。


読んで思ったのが、とっても難しいし半分以上理解できているのかも謎。とくに後半は理解できずに終わっています。読後感は、答えのあることがすべてじゃないってこと、哲学の批判というのは緻密な論理だということ・・・。自分の力不足でロジックに感動というのもなく、とてもすっきりしません笑。


でも自分は本に答えを求めていたのかもしれないと思うとちょっと反省。それが何かを考え続ける姿勢が必要なんだなと思いました。これをきっかけに時間とは何か、自分なりに考えてみよう。




本を読むのは、自分になんらかの血肉にならないかなーと思っているのですが、今回のように消化不良な本を読むととても不思議な感じです。



ディスカバートゥエンティワンという出版社の社長ブログ(良書とは何か? あるいは「感動」の条件 ●干場)では、思わず行動に移してしまう感動のきっかけを与えるものを良書と定義してた。



自分的には、興味があって、読みに行ったのに、理解できなかった。という事実がそこをもっと掘っていくモチベーションになるのかなあなんて思いました。読書は消費ではなく、生産だなと。今ここにいる自分で理解できないものが、いつか理解できるようになるかもというのも大事な変化。戻るべきよりどころになるのもひとつの良書のありかたかもしれません。



まだ良書かどうかの判定はできませんが、とりあえず再読リストに入れておこう。




ながろうの6月のやりたいことリスト