友人が、近所の仲良かったおばあちゃんの家に咲いてた牡丹の花を撮って送ってくれました。 生前、僕がこの株を植えたのですが・・・。おばあちゃんは咲く頃を楽しみしていたのに、今は帰らぬ人です。
人という存在が無くなっても他の物でその人が投影されるというのは不思議な感覚です。 他人には、ただの牡丹でも、僕にとっては、思い出深い牡丹だったりするわけですから。 その人がいなくなってしまったからといって、日常が変わるわけではないのに、花が咲いたりという日常的なことでその人の記憶がよみがえり、濃くなります。
広大な庭園も、来年には取り壊しが決まっていて、さらにおばあちゃんの死の記憶を想起させるものは少なくなるでしょう。
今日、友人が牡丹の写真を送ってくれたことは偶然ですが、僕は、その牡丹を来年の三神邸取り壊しの季節にきっと引き取りに行くでしょう。
偶然から必然。過去から未来。
未来へと進むということは、終着点の見えない終わりのカウントダウン。
P.S
GW中に草引きでもしてこよっと。