2008年5月26日月曜日

20080525

リクルートには社内(自カンパニー内)でのナレッジ共有を目的とした、「ガルコン」と呼ばれる社内論文制度が年に1回ある。1年目は必須ということで、多分にもれず、自分も書くことになった。


まあ書くこと自体は受け入れるとして、こういった社内ナレッジ制度、なんだかそれ自体が目的になっていてどっちかというと好きではない。もちろん書いてみると、自分の考えていたことや、1年間取り組んできた課題とその意味とか、それが今につながっている現状とかがみれて面白いのだが…。


普段、仕事をしている中で、一冊の分厚い本の中からナレッジを拾うという行為をするのかどうかというところが疑問なのである。使われなければ意味がない、だから作業に満足する以外のポジティブな意味をつけなければならない。


自分の場合にあてはめると、論文を書かなければいけないから、自分以外の人の論文を読んで、スタイルとか分量とかの参考にするという以外に他人の長い論文を読む気になれなかった。ただパラパラとめくってみると、興味を持つ情報が確かにあるものの、日常業務の中でそれをやるかといわれるとちょっと厳しい。



とはいえ、大量の生きた情報が埋もれている会社。
どうしたらユニットとかの小さな情報流通単位を超えた、情報共有が可能なのだろうか?



ちょっと考えてみた。



まず目を通した時に、自分が興味をもったものに共通していたことは3つ。

1、執筆者が劇的に成長していることが明確にわかる。
2、構成が一目でわかる目次が付いている。
3、図情報の多いもの。
4、いわゆるすごい人が書いたもの。



1については、何をやったらそんなに結果が出たのかという、結果を出したのは一体どんな人なのだろうという興味。2については、論文のどこを読むのか、読むのにどれくらい時間がかかるのかを判断する材料。3について、パラパラとみていて、情報に興味をもって中身を見に行く時のきっかけ。4については質の担保というところだろう。



とすると、4以外は、論文を1から10までちゃんと読む必要はなくて、情報単位にアクセスできればよい。
つまり読んだ時になんか発想のきっかけがあって、そこを元にジャンプができればいい。それはカスタマー分析のマトリックスかもしれないし、求人広告のコピーかもしれない。



とにかく、情報単位にアクセスできるようにすること、この1点に尽きる気がする。



本の体裁を保つなら、ただ、受賞グレード別に集めましたというものから、逆引きができるとか、一目でわかるサマリーをつけるとか、論文の体裁をある程度統一するとか編集作業が必要だ。すべての作業をWEBに移行するという乱暴なことは言わないが、情報にたどり着くまでの時間が長すぎることは十分に考慮したほうがいい。



徹夜で論文を執筆しながらそんなことを考えながら、ビジネスにおけるナレッジの統制とかっていうのも意外と面白そうだなーって思いました。