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2010年1月3日日曜日

新年の信念




あけましておめでとうございます。
ながろうです。

今年は出来る限り年賀状で新年の挨拶を出しているのですが、住所が分からない方もいらっしゃったのでblogでのご挨拶でご容赦下さい。また、昨年家に遊びに来て下さった方は遠いところをありがとうございました。またぜひ来てくださいね。

1年の計は元旦にありということで(既に2日目ですが)、昨年の振り返りと今年の信念について書きたいと思います。

まずは昨年の振り返りから。詳しくは下記URL。
http://nagaro.blogspot.com/2009/01/happy-new-year.html

昨年は、突然父になったこともあって、結婚、出産、新生活とライフサイクルの中での役割が明確に変わって自分が何にどう時間を使うかということを意識して1年の抱負を立てたように記憶しています。スパーのライフキャリアレンボーを我が身をもって学ぶとはまったく予想だにしていませんでしたが・・・。

立てていた抱負は下記。

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過去の引用
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今年の抱負という程のものは無いけど、コンセプトは「シンプルに創り続ける」、「言葉の解像度をあげる」ということにおいておきたいと思う。

創る為に、温故知新に学び、温新知故を共有し、いろんな人を巻き込みながら恊働する。そんなサイクルをいろんなところでブンブン愉快に回していきたいと思う。

あとは自分が感じたことを、便利な1つの言葉に頼らずもっともっといろんな言葉で表現できるようになりたいと思う。

2009年が終る時に、

新卒メディアが「創る」を体現できているメディアになっていて、新しいキャリアプラットフォームのビジョンが見えている状態になること。

今年5月に生まれてくる子供と、1月7日に入籍する妻が幸せな状態にあって、赤ちゃんの言葉で3人の意思疎通ができること笑。

そして、「僕は幸せだ」と胸を張って言えること。
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コンセプトについては、「創り」続けるということに関しては結構出来たかなと思っています。リクナビのプロモーション担当として億単位のお金でメディア開発・出稿からキャンペーンサイト、オウンドメディアの実装・開発までいろいろ創って、ただのメディアバイングに終らず、永田らしい仕事だと評価してもらえたのでこれは一つ結果が出てよかったと思います。一方、「言葉の解像度をあげる」は、問題点をとらえることや意思決定に関しては、裁量権を持ってプロジェクトをやらせてもらっていることもあってかなり早くなったのですが、今後プロジェクトに関わる人が多くなってきたり意思決定の権限が自分にない場合は、まだまだ自分の「言葉の解像度」だとうまくいかないことが多いんだろーなと思っています。

ゴールイメージの、 新卒メディアが「創る」を体現できているメディアになっていて、新しいキャリアプラットフォームのビジョンが見えている状態になることについては、マイルストンに落ちるくらいに兆しは見えてきていると思います。(まさか見えるようになるとはと少しびっくりですが)

家族については、なかなか仕事を早めにあがって時間を作るということが出来ず、嫁にはたくさん負担をかけてしまいましたが、「幸せである」ということに関しては満点かなと思っています。

総じて、昨年の抱負の通りにはなったけど、何かをやって結果が出てくればくるほど自信がなくなっていくもんなんだなー(不安に感じる要素が増える)というのが昨年の素直な感想です。

で今年の抱負。

コンセプトは「仕事以外にも学び続ける」、「信頼に足る人物になる」ということにおいておきたいと思います。


「仕事以外に学び続ける」に関しては、僕自身思考が散らかっていく人なので、2つに絞って学んでいこうと思います。

一つは、キャリアカウンセラーとしての知識、スキルの向上。
もう一つは、体系的に経営について学ぶことを目的とした中小企業診断士の資格取得。

「信頼に足る人物になる」に関しては、2つを意識していこうと思います。

一つは、日本語を書く。写経のように自分の尊敬する人物の言葉などをどんどん書いて意識に刷り込んでいく。
もう一つは、「迷ったらやらない」「本質的解決を求める」という軸を徹底する。これだけはどんな場面でもぶらさない。


2010年が終る時に、


新卒メディアのリブランディングが完了していること。
リクルートの次世代の企画マンとして周囲に認められていること。
自分の次のキャリアの選択肢が具体的に描けていること。
家族・親族が幸せな状態であること。(結婚式も今年中にやります!)


そして、「社会のために働かせていただいている」と胸を張って言えること。
そんな風になっていたらいいなと思います。

P.S
ながろう家への訪問はいつでも歓迎ですよ〜。
美味しい肴で酒を飲みましょう!

2008年11月3日月曜日

つながることば



ちょっと前に買った「広告
博報堂が出している季刊誌。


9月号は「ことばの特集」ではっとすることがたくさん見つかって好き。
ちょっと行き詰まったときとかに読み直したりする。


だから、もう12月号が出ているんだけど、やっぱり9月号。


好きなところを抜粋。
したら長くなちゃった。


○岩崎俊一(P18-19)
「ことばは、発見する」

ことばはつくっちゃいけない、それはもうすでにこの世のどこかにあって、僕たちはそれを見つけ出してくる、それを発見するのがコピーライターの仕事であるということです。いいコピーは、非常に無理のない形をしていて、無理のない響きを持っていて、ただずまい自体が美しい。


○山本高史(P20-21)
「言葉ロック」

ロックというは破壊とか否定なんだけれども、ところがただ壊せばいいと持っているわけではない。その後に自分のフレームを建てるという実はすごく建設的な行為であると思っていて、だったらそれを、言葉でできないかなというふうなことを考えたりして。<中略>
つまり単におもしろがって、そこにあるものじゃなくて、それを世の中の改善のためと状況の改善のために使うということを前提で、もう一度言葉を整理しなきゃいけないと僕は思うんです。


○宗形英作(P22-23)
「耳から入る言葉」
 
→ 考えが自分としっくり来すぎてびっくり体験でした。この人と何かやってみたいなんて僭越ながら思ってしまったり。


・・・改めて「ひらがな」は、音のことばだなと思ったんです。やまとことばは文字を持たなかった。中国から感じが入ってきて、その感じをひらがなに治して行くことによって文字になったという経緯があります。その意味で、ひらがなは、話しことばの中心になるんじゃないかと思うんです。


今は情報が多すぎて、情報が情報のノイズになっている。何が大事な話かわからないし、何が一番必要なのか情報かも分からなくなって、全部が横並びになってしまっている。情報を整理していく機能みたいなものが弱くなってきているんじゃないかと考えたときに、ひらがなに置き換えられないことばは、もしかしてそんなに必要なことではないのかもしれないと思います。


大切なことは実は簡単なことなんじゃないか。大切なことが忘れられているから、今、世の中がすごくややこしくなっている。愛することとか、人を思いやることとか、大切なことは、昔から語りつがれているようなことばの中にあるんじゃないでしょうか。


ある種、語りだけで相手がイメージできたり、相手が納得できたりするようなコミュニケーションが、すごく大事なんじゃないかなと思いますね。それに、素晴らしいアイデアというのは、たくさんのことばを費やさなくても、シンプルに、語りかけることばだけで相手が理解できるものです。そういう意味で、音で伝わるコミュニケーションが、今ちょっと置き去りにされ、その分なにかが失われている感じがします。


<中略>


大きく分けると、ことばの役割は2つなんだろうと思います。それは「考えるためのことば」と「伝えるためのことば」。


今、その「伝えるためのことば」が饒舌になりすぎている。それはもしかしたら、聞く力を信じていないからかもしれませんね。聞く力を信じないと、饒舌になるか無口になるしかない。


ことばが伝える力を持っているのは、ことばにはもともと求心力と遠心力があるからです。求心力というのは、そのことばで特定のものを想像できるということ。遠心力というのは、そのことばからいろんなことが連想できるということ、だから伝える力というのは、話す力と同時に、聞く力があって成り立つものなのかもしれません。


ことばのすごさは、見えないものを伝える力のあるところです。気持ちとか理由とか思い出とか夢とか、見えないものを語り合っていく、そこに大切なものがあり、それが未来を紡ぐことばになっていくのではないでしょうか。


○福岡伸一(P27)
「うまくことばにできないのだが・・・」

という言葉を決して使わないようにする。言葉にできないことはたくさんある。それでも言葉と文体を探し、できるだけ高い解像度でそれを語ろうとすることが、言葉の力を信じるということだと思う。





話は変わって、最近思うこと。
メディアとしてのネットが「言葉足らず」になりすぎていると思う。


僕は仕事でアクションメディアに関わっているけれども、ネットも成熟してきていて価値変換システムとしての情報メディアがいわゆる街のコンビニの域をでていないんじゃないかと思う。


ネットの可能性は良く言われる議論で多分、無限なんだけど、僕らの体力、知力、能力には限界があるし、そもそも時間だって有限だ。


有限の中で幸せを最大化すること。
前提として新しい気付きを得られる感性を持っていること。ここを忘れがちだと思う。


流れに身を任せてみんなが不感症になったらセックスを楽しいっていう人がいなくなってしまう。
でもなんだかそんな風になってきているように思う。


多分検索の自由って、格差社会みたいなもんで、自由度がありそうで実はそんなに自由度がなさそうで、アクションに固執した結果、そういう意味で、ネットの可能性を狭めるなっていいたい。


AISAIとかじゃ人はなかなか動いてくれない。
僕は、I-AISASとかまで行かないと動いてくれないと思ってるしそれが「おもてなし」っていう概念。


情報は創発するから、文脈をもっと大切にしないといけないんだと思う。
最近ずっとそればっかり。


どんな広告もやっぱり希望を与えてなんぼ!
がんばらなきゃね。